現代演劇 (Modern Theatre) ④ ブレヒト
さて、前回まではロシアの演劇人について書いてきましたが、今回はドイツの人です。
『肝っ玉おっ母とその子供たち』『ガリレイの生涯』などで日本でも大人気の
ベルトルト・ブレヒト Bertolt Brecht(1898−1956) です!
20世紀初頭のドイツでは、自然主義とはまた変わって、表現主義が発展していました。表現主義では、実際にあるものを精細に描くことで観察するように心情を表すのではなく、主観的に心情そのものをダイレクトに表します。有名なムンクの『叫び』を思い出してもらえれば、なんとなく雰囲気がわかるかと思います。
さてこの表現主義は従来の伝統的・様式的な美を批判しました。そこから社会の矛盾や問題点をテーマとして扱っていくことになります。
そんな表現主義の中でブレヒトは「演劇はどうやって社会を変えられるか」ということを考えました。その答えが「演劇を通して観客を啓蒙する」こと。芝居で世の中の問題を見せることで、観客がその問題について自ら考えることを理想としたのです。
そのために編み出したのが叙事的演劇でした。
叙事的演劇とは、それまでの演劇が登場人物に感情移入し、物語に没入するようになっているのに対し、物事を説明・描写して見せ、「あれよく考えるとこれおかしくない?」という視点を持たせることを目的としたものです。
『人魚姫』でざっくり例えてみると、
・従来の演劇(アリストテレス的演劇)→人魚姫に感情移入
声を犠牲にしてでも王子様に会いに行くの、うん愛だよね愛!
こんなに好きなのに王子様に別の相手ができてしまった、そりゃ悲しいよ傷つくよ!
でも自分の想いを抑えて王子様のために犠牲になる、切ない、美しい恋!!
悲しいけど、いい話だった!!(というカタルシス)
・叙事的演劇→第三者・客観的視点
声を犠牲にしてでも王子様に会いにいく… え、その取引リスク高すぎない?
こんなに好きなのに王子様に別の相手ができてしまった… 王子だからそれなりの身分の人と結婚するのは当たり前だし、そもそも人魚姫が結ばれる可能性低かったのでは?
でも自分の想いを抑えて王子様のために犠牲になる… ええええ、他に選択肢なかったの?
いい話だったけど、これ人魚姫には最初から結構無理ゲーでは… なんでこんな不利な状況しかなかったの??(という問題提起)
といった感じ。
この叙事的演劇を作り上げる要素、それが異化効果です。
異化効果とは、今まで普通だと思って気にしていなかった事柄に対して、距離をとってみることで新たな視点を得ること、です。
絵画を近くで見るのと離れて見るの、日本庭園をその中で歩くのとお寺の中から見るの、そういった差をイメージしてみるとわかりやすいでしょうか。似た印象を抱く時もあれば全く違ったように感じる時もあるでしょうが、どちらの場合でも対象への理解・解像度は上がります。
その「距離」を心理的に作ることで舞台が描いている問題をより深く理解する、それが異化効果なのです。
ここで、その異化効果を高めるブレヒト演出の大きな特徴2つを紹介します。
ゲスタス
ゲスタスとは、その登場人物の一面を端的に描写する特定のしぐさ・口癖のことです。
これに関して、ブレヒトは特にチャップリンの演技を称賛していました。
↓は殺人狂時代でチャップリン扮するヴェルドゥがお金を数えるシーンです。
ヴェルドゥは裕福な中高年の夫人を騙して金を奪い殺すという、連続殺人犯のキャラクターです。
このお金の数え方で、ヴェルドゥが元銀行員であること、戦果にも眉ひとつ動かさない冷静さ、お金に対しての執着などが感じ取れます。
このようなしぐさで感覚的にその人物の特徴を印象付けることで、観客がふとした時に「ん?」と違和感を持つようにしたのです。
例えば『肝っ玉おっ母とその子供たち』では主人公の肝っ玉おっ母アンナに「お金を入れているがま口をパチンと鳴らす」というゲスタスを設けました。
商売が上手くいってもいかなくても、戦争が激しくなっても、友人との語らいの後も、果ては子供たちが死んでいっても、彼女は自分が稼いだお金が入っているー彼女にとっての全てであるがま口を鳴らします。
どんな状況でもがま口を鳴らすアンナに、観客は彼女がどうあっても戦争という状況をダシにした商売をやめられないという様子を見てとることができるのです。
キャバレー
観客に自ら問題提起させることを目指していたブレヒトですが、同時に彼は「楽しくなきゃ人は舞台を観てくれない」ということも強く意識していました。
そこで彼がとった手法が歌やダンス、観客への呼びかけに満ちたキャバレーです。
これは自然主義演劇がぶつかっていた、観客が舞台から隔離されてしまうという「第四の壁」問題を乗り越える方法でもありました。
・音楽を奏でるオーケストラを目で見て楽しめる
・歌の時は物語が進む時とは違う、特別な照明になる
・歌のタイトルが舞台上で表示される
・役者は物語の役の場所から歌う場所へと移動する
こういった今で言うメタ的なキャバレーの要素を取り入れることで、「第四の壁」で観客を突き放さない、けれど物語に没入するでもない俯瞰的な視点という絶妙なバランスを作り上げたのです。
ブレヒトが確立した叙事的演劇は世界に広がり、特に日本では井上ひさしさんの作品にその影響を強く見ることができます。気になった方はぜひ、こまつ座さんの舞台を観てみてください!
(こまつ座さんホームページ http://www.komatsuza.co.jp)
またこの「観客に自ら問題を考えさせる」という姿勢はブラジルのボアールによる被抑圧者の演劇などにつながっていきます。が、この話はまた別の機会に…
次の記事では現代演劇に多大な影響を与えた4人最後の1人、アントナン・アルトーについて書きたいと思います。
現代演劇 (Modern Theatre) ③ メイエルホリド
②ではスタニスラフスキーによる自然主義的な演出・演技術について書きました。
今回のテーマはそんな自然主義に反発し、シンボリズム(象徴主義)による舞台を創り上げた演出家
フセヴォロド・メイエルホリド Vsevolod Meyerhold(1874− 1940)
です。
スタニスラフスキーの演出が文学的なイメージならば、メイエルホリドのは「考えるな、感じろ!」といった感じ。
メイエルホリドは始め、スタニスラフスキーの生徒として役者をしていました。
けれど全てをリアルに再現する自然主義に違和感を感じ、彼の元を離れます。
もともとある特定の場をひたすら現実に忠実に作り上げるという自然主義には、一つの弱点がありました。社会革命や経済危機などの規模の大きな問題(特に当時のロシアは革命真っ只中)を表現するには、自然主義の舞台ではスケールが小さすぎたのです。
ではどのような舞台ならより大きなことを表現できるのか? メイエルホリドが着目したのは観客の想像力、そしてそれをいかに刺激するかということでした。
メイエルホリドは特に、道端でやっている人形劇や、旅一座によるイタリアの喜劇コメディア・デッラルテなど、伝統的な大衆芸能からその着想を得ていきます。
観客の想像力
メイエルホリドは自然主義の舞台を「観客に想像の余地を与えていない」と批判しました。
人間実際に見るよりも自分で想像したイメージの方が常に強いものなのに、全てを仔細に見せることで逆に観客の期待を幻滅させてしまう、とも。
ホラーものやパニックもので、敵の正体を知る前が一番怖いっていうのと同じですね。
また、完璧に再現された舞台セットはその額縁感から、舞台と観客を隔てる“第四の壁“を作ってしまいます。舞台上の出来事とは隔離され、またそこまで突拍子もないことは起こらない自然主義の舞台では、観客は次第に退屈していってしまうとメイエルホリドは感じました。
そんなわけで、メイエルホリドはとにかく観客に「自ら」想像させる演出を探究していくことになるのです。
グロテスク
観客の想像力を刺激する方法としてメイエルホリドがまず考えたのは「驚き」でした。
先読みができる舞台ではなく、とにかくダイナミックで予想できない舞台。
そのためにメイエルホリドが考えた要素がグロテスクです。
日本語でグロテスク、というと残虐暴力血まみれ、みたいなイメージがありますが、ここでのグロテスクは2つの相反するものが混在する、という意味です。
喜びと悲しみ、美と醜といった対極の要素を舞台上で同時に表現することで、観客に困惑という驚きを与え、新しい視点を持ってもらうのです。
リズム
観客に驚きを与えるための要素、二つ目がリズムです。
音楽は言葉よりもずっと効率的に情感を伝えることができる、ということに着目したメイエルホリドは舞台でも積極的に音楽を使っていきます。
が、そこでまたグロテスク。メイエルホリドはその場の空気に合わない音楽をわざと使ったりしました。
ただ、何も考えずに違う雰囲気の音楽を使っても、舞台全体がバラバラになるだけ。
グロテスクを用いつつ作品としてまとめ上げるためにメイエルホリドがすんごくすんごく気を配ったもの、それがリズムでした。
空間的なリズム Spatial rhythm: 舞台上での物理的なリズム(動き)
時間的なリズム Temporal rhythm: 音楽のリズム
この二つがぴったり来ると、特に役者が動きを静止したときに、非常に力強い・印象的な瞬間を作り上げることができるのです。
そうした瞬間瞬間をモンタージュのように舞台上で展開することで、メイエルホリドは言葉に頼らない刺激を観客に与えていきました。
ビオメハニカ
リズムを完璧に体現するメイエルホリドの舞台では、役者には自然主義の時よりも更に高い身体能力が求められました。
そこでメイエルホリドが編み出したのがビオメハニカという訓練法です。
これは工場での反復的かつ科学的な動きからインスピレーションを得たもので、正確なリズムと音楽性に沿って決められた動きを、何度も繰り返し練習することで習得していきます。
動き自体はコメディア・デッラルテの伝統的な動作や体操などを元に編み上げられていて、
役者の身体・筋肉をより機敏に動かせるようにし、表現の幅を広げることを目的としています。
実際のエクササイズがこちら↓
ぱっと見はとても不思議な動きに見えますよね。
けれどこのビオメハニカをマスターした役者は、「習得していくうちに、段々この動き自体が感情を持っていることがわかってくる。やがて動きが自然と内から感情を呼び覚ますようになる」と語っています。
ある能楽師の方が「最初はそこまでの深い理解のない状態で代々続く動きを習い、繰り返しているが、ある時ふっと『ああ、この動きはこういう心情だったのか』とわかる瞬間がくる」と言っていました。メイエルホリド自身、能からも大きな影響を受けているので、こんな共通点があるのかもしれません。
役割
自然主義演劇とメイエルホリドの演劇では役の作り方にも大きな違いがありました。心理的考察から役作りをしていく自然主義に対し、メイエルホリドはそのキャラクターの役割に着目したのです。
特に大きな影響を受けたのがコメディア・デッラルテ。イタリアの伝統喜劇であるこの即興劇では、脚本は存在しません。その代わり決まっているのがプロットとストックキャラクターです。
ストックキャラクターとは典型的なキャラクターのこと。日本の歌舞伎でも例えば二枚目はイケメン役、三枚目は滑稽役、なんてのがあります。同じようにコメディア・デッラルテでは悪徳爺さんのパンタローネ、トラブルメーカーの従僕ザンニ、といったキャラクターたちがいるのです。
脚本が存在しないコメディア・デッラルテでは「〇〇が△△して□□になる」といったようなざっくりとしたプロット=ストーリーの点と点をストックキャラクターによる即興劇でつなげていきます。
ここで重要なのは、ストックキャラクターには物語を進める上での「役割」が決まっているということ。例えばパンタローネは物語での障害、ザンニは問題を引き起こす、より大きくする、なんていった具合です。逆に言えば、パンタローネが問題を解決することは絶対にありません。
メイエルホリドはこのストックキャラクターと同じ考え方で脚本上の登場人物たちを読み解いていきました。スタニスラフスキーのような人物を個人として考えるのではなく、あくまで物語を進める歯車として考えていったということですね。チェーホフを上演する上でも、この人物はパンタローネのようなもの、これは障害に苦しむ恋人たち、と役割に徹して演出し、その結果、スタニスラフスキー演出には不服だったチェーホフも気にいる「喜劇」になったそうです。
このストックキャラクター、その特性を分かりやすくするために、仮面・衣装・動き方・声のトーンに至るまで特定のものが決まっています。つまり登場人物の性格自体、言葉ではなく視覚・聴覚で理解できるということです。ビオメハニカで身体能力を鍛た役者たちが象徴的な仕草・動きで表現することにより、メイエルホリドはより観客の感覚に訴える人物描写を成し遂げたのです。
このように、スタニスラフスキーとは全く違ったアプローチで観客の想像力に訴えかけたメイエルホリドさん。舞台への信念のもとソ連共産党を批判したため、1940年に投獄・処刑され、その生涯を終えます。ですが印象的な彼の演出は演劇界の大きな功績となったのです。
以上、現代演劇に多大な影響を与えた4人、その2人目でした。
さて次回は国が変わって、ドイツはブレヒトについて書きたいと思います。
現代演劇 (Modern Theatre) ② スタニスラフスキー
さて、今回のテーマは現代演劇に多大な影響を与えた4人の人物、その最初の1人
コンスタンチン・スタニスラフスキー Konstantin Stanislavsky (1863-1938)
です。
芸術は人生を形にしたもの、という信念のもと
説得力のある演技とは? 役者はどうすればそこへ至れるのか?
そのプロセスを提唱した人物です。
スタニスラフスキーは1898年、ネミロヴィチ・ダンチェンコと共にモスクワ芸術座を設立。12月に上演した『かもめ』で大成功を収めます。
役者たちの自然な演技、美術衣装音響などによる舞台効果、当時の新技術である電気を使った照明。
これらすべてを駆使して『かもめ』の世界の‘空気’を緻密に創り上げたこの舞台は、当時のロシア演劇界に衝撃を与えました。
その後もスタニスラフスキーはどうすれば「役者が舞台上で真に役を生きる」ことができるのかを探究し、その成果であるスタニスラフスキー・システムを生涯アップデートし続けました。
ではそのスタニスラフスキー・システムはどんなものなのか?
ものすごーーーく簡単に説明します。
- リラックスと集中
まず役者は身体を完全にリラックスさせることができなければなりません。
身体が強張る、声が上ずるなどの身体反応は、観客にとってはそれ自体が役の心情についての情報です。けれどそれが役のものでなく役者のものだと、物語には関係ないので当然ノイズになってしまいます。それを防ぐために、役者はまず自身の身体から意図的に緊張を取り除くことができる必要があるのです。
このリラックスができるようになった役者だけが、次のステップである集中へ進めます。
集中、といっても一点への集中ではなく、円状に広がっていく集中というイメージ。
普段意識せずとも感じているはずの、地面の硬さや机の手触り、道端の植木など。そういったもの全てに意識を向け、注意深く観察することで新たな視点を得ることができます。
自分がそもそも抱いていたのではない視点 →ということは→ 他人の視点 →つまり→ 役の視点
というふうに、役としての考えを得る手がかりができるのです。
例えば舞台上に机がある。集中しなければ「机は机」と思考停止して終わってしまいますが、集中して観察すると、「この机はいつからあるのか」「滑らかな手触りがする」「大人にはいいけど子どもには高すぎる」など情報が色々出てきて役作りに有効というです。
- ディスカッション
役者全員が集まり、演じる脚本について話し合います。まず全員で決めるのは
スーパーオブジェクティブ Super Objective(超目標):作者がその脚本で伝えたいこと です
その戯曲のテーマですね。例えばシンデレラで言うと「例え辛くても、清く正しく生きていれば幸せになれる」といった感じです。
その次に話し合われるのが
ファンダメンタルオブジェクティブ Fundamental Objective(根本目標):その作品を通して各登場人物が達成したいこと
例えばシンデレラの継母の場合は「娘を王子の結婚相手にすること」魔女のおばあさんなら「シンデレラを幸せにすること」のように設定できます。
作品全体を通しての目標二つが定まったところで、今度は脚本を
全体 → エピソード → 断片 と分けていきます。
エピソード Episode:脚本を大きな場面場面に分けたもの
「理不尽な仕事をこなすも、結局舞踏会には行けない」「お城で王子と出会い、恋に落ちる」「王子がガラスの靴の持ち主を探しにやって来る」など。
戯曲で言う第○場、第○幕、と同じ場合もあります。
断片 Bit:エピソードを「アクション」1つずつに分解したもの
アクション Actionとはその瞬間、登場人物が望んでいること(目標)を叶えるための行動を指します。
例えばシンデレラの義理の姉で言えば
断片A
目標:シンデレラに舞踏会の準備をさせたくない
アクション:シンデレラに大量の仕事を与える
断片B
目標:シンデレラを舞踏会に行かせたくない
アクション:シンデレラのドレスを破る
といった感じです。脚本に書いてある全てのシーンをこの断片まで分解・分析します。
(このアクションについては、演技(Acting)のノートで更に詳しく書きたいと思います)
このアクションを考える際に重要なのが
ギブンサーカムスタンス Given Circumstance(与えられた環境): その出来事はいつ、どこで、どのように、どんな状況で起こっているのか
そして魔法のもしも Magic Ifです。
「もしも自分が」その状況にあったらどう思うか、目標を達成するために何をするか。
‘魔法のもしも‘を使って与えられた環境に自分を置いてみることで、自身の中から生まれる自然な感覚をアクションとして舞台にのせることができるのです。
- テンポとリズム
テンポ:アクションによって作られるスピード
リズム:感情などの内的要因によって作られる、役者が感じるスピード
例えば舞踏会でのシンデレラの義姉を考えてみましょう。
王子が自分に見向きもせず、見知らぬ女(シンデレラ)と踊っている。
さすがに王子自身が選んだ相手と踊っているのを止めることはできません。義姉にできるのは横から見ているだけ… アクションとして大きな動きはないので、テンポは遅くなります。
一方心はというと、自分が選ばれなかった悔しさや見知らぬ女への嫉妬、次のターンになれば自分が踊れるかもという期待でとても忙しいことでしょう。つまり内的要因によるスピード、リズムは速くなるのです。
さらにセリフの行間や裏の意味など、書かれている文字面とは異なるサブテキストから役の人物像、性格などを考えていきます。
- フィジカルアクションメソッド
これはスタニスラフスキーがシステムの後に考え出した方法です。
まず役者は脚本からシーンの内容を読み取ったあと、セリフを覚えるよりもまずそのシーンをインプロで再現します。もちろん最初はうまくいきません。
そこでもう一度脚本を読み、自分たちのインプロとどこが違ったのか確認、再度インプロに挑戦します。
これを繰り返すことでインプロは段々脚本通りの内容・セリフに近づいていき、役者はその行動・言葉である意味を自発的に経験・探究していくというメソッドです。
以上がスタニスラフスキー・システムの非常にざっくりとしたまとめです。
このような画期的な演技システム・メソッドを遺したスタニスラフスキーですが、人間の真実を舞台上で表現する方法はもちろんこれが唯一というわけではありません。
特にスタニスラフスキーのやり方に対して「エリート主義だ」と反発した人物がいました。
それがスタニスラフスキーの生徒でもあったメイエルホリドです。
現代演劇(Modern Theatre) ③ではこのメイエルホリドについて書いていきたいと思います。
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現代演劇 (Modern Theatre) ① 自然主義
現代演劇 (Modern Theatre)
こちらは大学の演劇学科で必修だった科目です(主に座学)。
現代演劇とはなんぞや?っていう授業ですね。
まず現代演劇の大きな側面として、「社会・政治に問題を呈する」というものがあります。
例えば差別による悲劇を見せたり、現在の政治を皮肉ったり、あまり知られていない病気を取り上げたり。そうして観客に「本当に今のままでいいのだろうか?」という疑問を抱かせるのです。
ではなぜ現代演劇がそんな面を持つようになったのか? という歴史を学んでいきます。
大まかな目次(?)はこんな感じ
- 自然主義(Naturalism)の台頭
- 現代演劇に多大な影響を与えた4人、その① スタニスラフスキー
- その② メイエルホリド
- その③ ブレヒト
- その④ アルトー
- 第二次大戦後の凄い人、グロトフスキー
- ポストモダニズム
- 言語を超えて、ウィルソン
- ダンス、フィジカルシアター
- パフォーマンスアート
今回はまずその一番初め、自然主義(Naturalism)の台頭について書いていきたいと思います。
自然主義とは。
ものすごーくざっくり言うと、
「お綺麗な部分だけじゃない、裏表全部ひっくるめた、ありのままの人間の姿を見つめよう」
というものです。
それまでの"人間"についての考え方は
宗教に基づいてたり(肉体に意味はなく魂こそに価値がある、とか)
身分に基づいてたり(尊い血を引いている貴族は偉い、とか)
単によく分からなかったり(こんな悪行を犯すなんて何か変なものに取り憑かれたんだ、とか)
でした。
けれど科学技術の進歩や産業革命によって人々の意識はどんどん変わっていきました。
科学の面では特にこちら御三方
- ダーウィン ご存知進化論(生物は神のみ技ではなく、進化によって形作られてきたことを述べた)
- フロイト 精神分析の始祖(心という一見非論理的なものに科学的分析を試みた)
- マルクス 社会主義の創設者(それまでの社会が唯一でも万能でもないことを示した)
産業革命では、農業や職人による小規模な生産から、機械を用いた大量生産がメインとなっていきました。そこで特に変化があったのが中流階級であった商人たちです。
以前は身分のせいで社会への影響力を持たなかった彼らは、産業革命を経てとにかくお金持ちになり、むしろ社会を動かすメイン層へと成り上がっていくのです。
それがいわゆるブルジョア。
この「貴族じゃないのに力を持った人々」=ブルジョアが増えたことも、貴族第一主義だった既存の価値観に対する人々の違和感を強めることとなりました。
こうした流れから
人間はそんな理想的なもんでもない → 芸術でも生の人間を表現しよう
となっていったわけです。
さて、そんな自然主義を演劇に取り入れるとどのようものになったでしょうか?
自然主義演劇の特徴は以下の5点になります。
(これは自然主義演劇は「こうあるべき」というわけではなく、あくまで自然主義演劇とされる作品を分析した結果こういう特徴があるよ、というものです)
- その作品当時の「現代」を描いたものであること
- その作者の「当地」が舞台であること(例:チェーホフ作品の舞台はロシア)
- 日常的な会話文であること
- 登場人物が階級などで限定されないこと
- 超自然的な要素(幽霊やお告げなど)によって物語が動かないこと
この自然主義演劇を代表する劇作家が『かもめ』『桜の園』などで有名なチェーホフや『人形の家』でセンセーションを巻き起こしたイプセンになります。
また自然主義を初めて著作で言及したとされるゾラが「演劇はこうあるべき」と言った大まか内容はこちら↓
⭕️科学的分析に根ざした人間、適切で真に迫った表現
❌抽象的な人間(現実離れした人間)、無意味に豪華なファンタジー
特に話し方。やたら強調したり飾り立てたりしない、普段自分たちが話している話し方でのセリフにこそ価値がある
またゾラは「舞台上の全てのものには意味がなければならない」とも述べています
衣装もセットも話し方も物語の進み方自体にも、「なぜそうなるのか」の理由がなければならない(なんとなく、ではダメ)
→事象を学び、現実をより詳細に分析することで、リアリティのある「環境」を作り出す
→舞台上の登場人物にも真実が宿る!
21世紀から見ると「いや、そんなん普通のことじゃん」ってなりますが、当時は本当に普通のことではなかった…
自然主義以前の演劇は、前述した非科学的な人間観に基づくメロドラマ(愛し合う2人、立ちはだかる障害、典型的な登場人物たち、つまるところベタで出来ている舞台)が主流だったのです。
そんなメロドラマなサロン劇から自然主義演劇が完成されていく変化は、ざっくり見るとこんな感じ↓
18世紀から19世紀初頭 リアルさを舞台上で表現することが重視される、と言いつつ…
舞台セットについては、
- 絵画のような美しい背景
- リアルさ、現実感を求めた外見(外側だけ、理由づけなどはあんまり考えてない)
- アンティークが好まれる
物語に関しては、
- 登場人物がブルジョアの場合→センチメンタルな悲喜劇
- 登場人物が下層階級の場合→メロドラマ
という、まだまだなんとなくなベタが多い状態
19世紀中頃から後期 メロドラマの中でのリアルな反応/効果が追求される
物語自体は未だファンタジー(ご都合主義なハッピーエンドや詩的な正義観など)
けどよりリアルな描写や演出に重点が置かれる
た だ し その表現はあくまで技術的なものであり、表層的なものに過ぎなかった
そんなところで! 登場してくるのが!! 演劇やる人なら必ず一度は名前を聞くあのお方
彼が編み出した演技へのアプローチにより、役者陣は自然主義が目指す「科学的分析に基づいた登場人物」へと近づいていくのです。
この続きは 現代演劇(Modern Theatre)② スタニスラフスキーで!